SANplusICHI

「反省しろ、まずはそれから」

不機嫌は怠惰とよく似たものです

リックのことが好きなダリルが本を読む話。
ダリルの過去の話とかあります。いろいろ捏造してます。若干S4前半のお話。


ダリル・ディクソンは昔から本が嫌いだった。

―――今、「嫌い」と言い切るには語弊があるかもしれない。
何故なら彼の家では、母親が息子に本を読んで寝かしつける習慣や、父親が息子にコミックスを買ってやる習慣もなければ、彼自身、兄が読んでいるセクシーな本に憧れる経験もしなかったのだから。

文字をかろうじて読めるのは、学校しか彼が彼の父親から逃れる場所が無かったからだ。
何度も教師がダリルに虐待のことを質問しては自宅訪問したが、確固たる虐待の証拠を掴むことはできず去っていった。
教師が帰った後に父親に更に虐待されるのだが、彼は黙って受けているだけだった。
母親は父の暴行・暴言に恐れて見て見ぬふりだったし、兄は「バカな教師のせいで散々な目にあったな」と笑うだけだった。





「父さんは昔から本を読むのが好きなんだ。」
リックが農作業の合間に本を読んでいる姿を食い入るように見つめていたダリルに、カールが声をかけた。

「本を読むならせめて独房で休憩しながらにすればいいのにね。こんな炎天下で読まなくてもさ。」
「そうだな。ちょっと声をかけてくる。」
「うん。」

カールは「僕はコミックスのが好きだけどね」なんて言いながら刑務所の方に戻って行った。
暑い日の真昼間だ。外に出ているのはダリルと農作業をしていたリックと見張りくらいだ。
尤も、見張りであるグレンとマギーは塔内に居るのだが。何をしているのかはご想像におまかせするとしよう。

ダリルは、豚小屋の日陰で本を立ち読みしているリックに声かけた。

「リック」
「………」
「…リック!」
「!ああ、ダリル。すまない。集中してた。」
「本好きなのは構わないが、ここで読まなくてもいいんじゃないのか?熱中症になっちまうぞ。」
「ああ…。いや、こいつらが餌を食べ終わるまでの間だけな。」

リックは足元に居る数匹の豚を見やった。
餌箱には餌のカスが隅の方にあるだけだ。どうやら豚たちは彼の読書の間に与えられた餌を平らげたようだった。

「お。もう食べ終わってたか。」

そう言いながらリックは餌箱を片付けて、檻から出てきた。

「もういいのか?」
「ああ。もう大丈夫。これで屋根のある場所で読書ができるな。」

リックの顔に光が差し、眩しくてダリルは思わず眩暈を覚えた。
彼の笑顔そのものが眩しいような感覚さえしていた。
何気ない幸せを感じて軽く笑っただけなのに。彼の笑顔を目に焼き付けたいのに。
眩しくて目を開けてられない。

「大丈夫か?」
「………ああ。」
「ふふ…」
「?」
「いや…注意しにきたお前が熱中症になったんじゃないか?」
「ちげーよ」

そうだ。全然違う。
しかし彼が「アンタの笑顔が眩しくて」なんて言えるわけもない。

「何の本読んでたんだ?」
「うん?ああ、基本的になんでも読むんだが、久しぶりにコレを読んでた。」

リックはダリルに持っていた本を手渡した。

「若きウェルテルの悩み…」
「よく学校に置いてただろ?」
「………」
「読んだことないって顔してるな?読んでみればいい。」
「…おう。」
「読んでやろうか?」
「…いらん」
「ははは」

ああ、惜しいことをした。
そういう体験もしてみたかったかもしれない。誰かに本を読んでもらったことなんかないから。

ダリルはリックを見送った後、自分も独房に戻って多少そんな後悔をしていた。
彼はリックに理想の家族像を抱いているのは自覚していたが、同時に別の想いがあるのにも気付いていた。
おそらく自分はリックのことが好きだ。
もちろん仲間として家族のように大事だと、そういう意味もあるが、他の仲間には抱かないような意味もある。


『若きウェルテルの悩み』
この物語を簡潔に説明すると、主人公ウェルテルが婚約者の居る女性シャルロッテに恋してしまうが、その想いが叶わないことに絶望して自殺してしまう話だ。


ばからしい。
ダリルが本を読んだ最初の感想がソレだった。

ダリルは、ウェルテルの気持ちが分からないでもなかった。何故なら彼も叶わない恋をしているからだ。
相手には亡くなったけれど愛した人が居て、息子も居て、更に言うなら彼と同じ男だ。ウェルテルよりも障害が多いとすら言えるだろう。

(でも、この言葉は…)

【不機嫌は怠惰とよく似たものです。怠惰の一種なんですから。我々はそもそも怠惰に傾きやすいです。】

(確かにそうだ。)

ダリルは、リックに出会うまでの自分は実に不機嫌の塊であったように思う。

誰もあの最低の父親から助け出してくれないことに世間を恨み、自分を置いて家を出た兄に裏切られたと絶望したくせに、兄のようにあの家から逃げ出せない自分をなんとも思わなかったが、今思えばアレは『怠惰』ではなかっただろうか?
確かに、あの時の自分は幼かった。世間じゃ守られるべき存在だったろう。
だが、自分は「助けてほしい」と声を上げただろうか?声を上げられないほど怖かったわけでもないくせに、どこか「誰もどうにもできやしない」と諦めてなかったか?
自立できるようになって家を出てから自分は常に不機嫌だった。何の目標もなくただただ酸素を排出して生きてるだけだった。
まだ父親に虐待されている時に「この為に自分は居るのではないか」と思っていたことすら、目標なく生きるよりは意義あるように思えて、父ごと過去の自分を殺したくなるほど腹が立ったがどうにも出来ないと諦めていた。
世間に出た後、兄に会い、二人で暮らし始めたが、兄もまともな生き方をしてなかった。
兄はいつも「あの父親のせいだ」と怒鳴っていたが、それに同調することも反論することもなかった。兄のことは父よりも母よりも家族としての愛情はあったが、兄から発せられる父に関しての話題はいつも堂々巡りだったので聞き飽きていた。自分だって兄のようにその場に居ない父に怒りを露にすればいいものを、なんとなくそれも面倒で放棄していた。
それでも、理由もなく、いつも不機嫌だった。

死人の出現で世間がパニックに陥り、ダリルは彼の兄と一緒にアトランタへ避難した。
しかし、アトランタもウォーカーの群れに襲われ壊滅した。その際に、彼は兄と離れ離れに逃げることとなってしまった。
ダリルと一緒に逃げることとなった面々の中には保安官代理のシェーンが居て、アトランタを離れる時は先頭だって引っ張っていってくれたが、シェーンはどう見てもチンピラだったダリルを信頼することはなかった。もちろん、素行最悪の兄メルルが原因ではあったが、シェーンはダリルもメルルも一緒くたの存在であると考えていた。
ダリルは「違う!」と声を上げることもなく、不機嫌になっていただけだった。兄と合流すればこの面々を襲うと兄が言っていたので、黙っていただけなのか、ただただ声を上げるのが面倒だったのか、自分には判断が付かなかった。

(きっとめんどくさかっただけだな…)

【しかし、いったん自分を奮起させる力を持ちさえすれば、仕事は実に捗るし、活動が本当の喜びになってくるものです。】

ダリルとメルルが離れてから数日後に、アトランタで逃げ遅れた面々を連れ立って現れたのがリックだ。

兄を置いてきたという面々に最初は怒りもしたが、リックが「助けに行く」と言い出して面食らったのはダリルの方だった。まさか、こんな自分たちに本当にそう言ってくれるような人間が居るなんて思わなかった。こんな世界じゃなくったって真っ先に見捨てられるはずの存在だと思っていたから。
その後もリックはダリルの力を頼った。
対ウォーカーでは人間同士の助け合いが必要だとは言っても、この世界じゃそれはもう簡単なことではなかった。
『生き残るために他人を頼ること』と『生き残るために他人を裏切ること』は同じくらい盛んだった。
それでもリックはダリルを頼ったのだ。

それがどれだけダリルにとって救われるようなことだったか、きっとリックは未だに理解してはいないだろう。
彼にとっては、まるで虐待の渦から救われたような思いだったのだ。
何をしてもうまくいかないし、やる気もなかったのは誰からも期待されていなかったからだ。
ダリルがリックの期待に応えられることは、何より一番ダリル自身を喜ばせた。

(活動が本当の喜び…か。確かにそうだな。)

しかし、その喜びは手に入れることの叶わぬ相手によってもたらされたものだ。
最初は「手に入れたい」や「自分のものにしたい」なんてやっかいな想いは抱かなかった。
ただ頼りにされることが嬉しくて、期待されることを喜びに感じていただけだった。
なのにいつからか「もっともっと」と更に上のステップをダリルの方が期待してしまうようになってしまった。
リックがダリルを頼り、ダリルはリックにもっと頼られたいと思うようになったのは人間として当たり前の反応だろう。
他人に頼られて「もっと頼られたいと思う人間」と「もう頼らないでほしいと思う人間」が居る。
ダリルの場合、これまでに良い意味で他人に頼られたことがなかったので、リック相手には完全に前者に転んでいた。

(親父や兄貴にアレ盗んで来いとかって頼まれたことはあったけど)

ダリル自身も困惑していることだが、彼はリックに触れたいと思ってしまったのだ。
きっかけは、きっとあの時か。


+++


ハーシェルの農場をウォーカーに襲われ、また居住の地を探す旅になった時、リックの頭はぐちゃぐちゃだった。
信頼していた親友の裏切り、愛する妻の不貞と妊娠、家族や仲間を守らなければという責任感、道行くウォーカーへの苛立ち…。様々な感情や考えなければいけないことでリックは心身ともに疲れきっていたが、身重の妻をどうにか安全な場所へと思い、日々必死に生きていた。
妻であるローリに心を許し、日ごろの鬱憤を会話をしてでも晴らせられれば良かったのだが、話す機会を失くしていた。理由は色々あって複雑だが、大きくはリックがシェーンを殺したことをローリが長らく許せていなかったことだろう。リックもそのことを承知してか、あえてローリを避けていたようだった。
その頃にもなると、リックはダリルだけを連れ立って狩りや物資調達などをすることが多くなっていた。
単独行動の際に女子供や老人を連れ歩くのは、逆にリックの身すら危険だったので先に選択肢として消えた。Tドッグはしっかりした体躯で力強いが機動力には優れていなかったし、機動力のあるグレンを連れ立とうとするとマギーも一緒にということになった。それで自然にリックはダリルをそれまでよりも頼りにすることとなったのである。

少し遠方まで狩りや物資調達をしに行く際は2人で野宿することがあった。
その日は、たまたま小さな山小屋を見つけたのでそこで一晩過ごしてから仲間の居る野営に戻ろうという話になった。そしてラッキーなことにその山小屋に1瓶だけウォッカがあった。素晴らしい先人の置き土産にダリルはヒュウ♪と口を鳴らした。

「1瓶しかねぇし、これはここで飲んでこうぜ。物資調達隊の特権ってことで。」
「ああ、構わない。」
「コップは…ねぇな…。」

言いながらダリルは瓶に口付けて一気に煽った。

「ッカーーー!!!のどが焼ける!うまい!アンタは?」
「俺はいい。」
「んだよ。飲めって。あったまるぜ。寒いだろ?」
「…そうだな。」

ダリルに促されてリックもウォッカを煽る。

「くっ…はぁ…うん、度数は高いが悪くない。」
「だろ。たぶん密造酒だけどな、保安官殿。」

ニッとダリルが笑うので、リックもついつい笑顔になる。
アルコールがまわるにつれて、ついでに口も軽くなってしまったようで、リックは心情を吐露し始めた。
シェーンやローリのことが主だったし、空腹の上の度数の強いアルコールだったのでてんで呂律がまわっていないが、それもこれも自分を信頼してのことだとダリルは強く感じていた。
誰にも弱さを見せようとしない我らがリーダーがダリルを、今はダリルだけを頼って弱さを見せきっている。
(抱きしめたい。)
男に思うのもおかしなことだと思ったが、いつもは頼りがいのあるリックの背中が今は弱々しく見えてしまい、自分が支えてやらないと座ってすらいられないのではないかとダリルは思ったからだ。
そんなリックの背中を見つめて話を聞いていると、リックの肩がぶるりと震えた。

「寒いのか?」
「んん、とくに。」

ダリルの問いかけに至極眠そうにリックが答えるので、ダリルは「酔ってて自分が寒いのかもわかってねぇなこりゃ…」と少し呆れた。まぁ、無意識に頼りにされてるのは決して悪い気分ではないのだが。

「ちょっと待てよ。確か毛布があったような…」

ダリルが山小屋の隅に置かれた毛布を取りに行くと1枚しか無かった。ダリルは自分のポンチョを見やりながら、リックの肩に毛布をかけてやった。

「毛布はアンタが使え。俺にはこれがある。」
「かぜひくぞ」
「しょうがねぇだろ、毛布は1枚しかない。」
「…そうか」

リックはけだるげにダリルの腕を掴むと自分の方へと引き寄せて、ダリルを毛布の中に引きずり込んだ。

「な!?」
「いっしょにつかえばいい」
「ハァ?」
「あったかいだろ?ふたりのほうが」

毛布の中だとリックが至近距離に居る。
至近距離のふにゃりとしたリックの笑顔に、ダリルの右半身にあたるリックの体温に、長らくタオル拭き程度しかしてないリックの匂いに、ダリルは自覚してしまったのだ。
「リックを手に入れたい」という自分の欲望を。
頼られるだけの存在でなく、彼を守りたい。彼の身の安全だけでなく、心の安寧だって守りたい。今こうして2人で居る時の彼はローリと居る時よりも、ダリルの目には幸せそうに見えるから。
(自分のものにして誰の手からも守ってやりたい。彼が何かを見て傷つくくらいなら見なくていいと視界を遮ってやりたい。)
しかし出来るわけないと弁えている。解っている。だから本当に手を出したりはしない。

ダリルはそっとリックの腰に腕を回した。思いのほか細くて、自分の中でより一層、彼への保護欲が加速するように感じた。これが実際、保護欲なのかはダリル自身にも検討つかなかったが。

「…確かに。あったかいな。」

このまま時間が止まればいいのに。
ダリルは柄にも無くそんなことを思っては黙って目を瞑った。


+++


そうだ。あれ以来、ダリルの中でリックへの気持ちは変化していった。
ダリルは兄メルルと再開した時、意地になってリックの元から離れたがすぐに後悔して戻った。あの時、本当はリックに「行かないでくれ」と縋りついてほしいと思っていた。ダリルはそれがなんと馬鹿な思惑だと思い直したが、事実そういう感情はすで彼の中で芽生えていた。

刑務所にウッドベリーの市民達を受け入れ、リックをリーダーの重荷から外してからというもの、ダリルはリックに頼られることが少なくなった。 リックが他人に頼らなくてもいいような精神状態に落ち着くことが出来たからだ。
今や農作業メインで豚まで飼い始めたし、暇さえあれば本の虫になっている。誰かと話すよりも独りで落ち着いていることの方が多くなっていた。 物資調達なんかも他のメンバーが分担しており、出歩くこともフェンスの外に出ることも少なくなり、銃さえ持たなくなった。周りが用心の為に持ってくれと言っても頑なに持たなかった。
ダリルもリックと一緒に居る機会が自然と減った。ダリルは外に出る機会が多いからしょうがなかったが、刑務所内に居たってリックは野菜と豚と本にかかりっきりだった。カールやハーシェルと話す機会や時間はリックがわざわざ作っているようだったが、ダリルに対してそういうことはなかった。リックと話す機会は大方ダリルが作っていた。それでも本には負けてるように思えた。

(やっぱり本は嫌いだ…。)


ダリルは今日も炎天下の中、農作業にかかりきっているリックに声をかけた。

「リック、今大丈夫か?」
「ん?どうした?」
「これ、読んだ。」

ダリルの手には1冊の本。

「ああ。もう読んだのか。どうだった?」
「女に恋して死ぬなんてバカらしいと思った。」
「はははは!ダリルらしいな!」
「こいつの人生は短かった。あと何年でも生きてりゃ、もしかしたら好きなヤツの相手が死んだかもしれねーのに。」

(ローリみたいに。)

「そしたら、好きなヤツの大事な存在になれたかもしれねーだろ?」
「かもな。」



リックが朗らかにそう笑ったので、ダリルは怠惰でいられなくなった。



2014年9月28日